一昨日、50tの小滝ウェーブで遊んでいた時のこと。
上から4mはあろうかというアルフェックの「ボイジャー」というファルトボートに乗って下ってきた人がいた。
50代くらいに見えるその男性は、ライジャケに麦わら帽子という出で立ちで、荒川最大の難関であると思われる
小滝を下見している。
多分数年前の私なら、厚顔無恥にも、「向こうのバイパスを通ったほうがいいですよ。」とありがた迷惑のアドバイスをしたはずである。
恥ずかしい話だが、ヘルメットなし&ファルトボートという外観のみで、考えなしにそれがベストだと決め付けてかかったに違いない。
※さらに「ヘルメットを被って下さい」などという、どうしようもないセリフを吐いた可能性もある。
ハッキリ言って大きなお世話である。
皆自分の考えを持って、それぞれの挑戦を自分の責任でやっている。
友達やその力量を良く知っているパドラーなら、アドバイスをありがたく受けるし、こちらからそうすることもあるかもしれない。
しかし、私はそのおじさんのことを何一つ知らない。もしかしたら、荒川を年間100本下っている達人かもしれない。
自然と自分と向き合って、真剣に下見をしている時、よく知らないこわっぱにそんなことを言われた日には、せっかくの川下りが台無しである。
「じゃあ何かあったらどうすんの?」というお決まりの意見が出てきそうだが、その時は全力で助け合えばいいんじゃないか?
「周りに迷惑がかかる」というなら、そういう人は「絶対周りに迷惑をかけることはない」、と言い切れるのだろうか?
誰も一人では生きていけない。規制するよりも、何かあったら一目散に駆けつけてお互いが支えあう。
そういう姿勢こそがあるべき姿ではないか?
もし失敗したら、そこで痛い思いをして、時には地に頭をこすりつけて謝って、そして学ぶんじゃないのか?人生だって、人間の歴史にしても、その繰り返しでより良くなっていくんじゃないか?
最も悲しいのは、
「危ない」、「常識的にみておかしい」、「前例がない」、という考えなしの一般論の下、挑戦すらさせてもらえない社会になってしまうことである。
こうなったらカヤックがどうこう言う前に、人類の進歩もクソもない。
話は変わるが、野田知佑氏のスタイルを真似て、ヘルメットをしないツーリングカヤッカーが多くて困っている。
とパドラーが言っているのを聞いたことがある。
ヘルメットを被らないとカヤックをしてはいけないのだろうか?
自分が怪我をしたくないから着用するというなら理にかなうが、それは半強制的に人に押し付けることなのだろうか?
やるならやるで万全の準備をすることが大切だから?そういうことを言う人は、フルフェースのメットを被って、競艇選手が使うような(気絶しても呼吸が確保される)本物のライジャケを着用して、常にハイボリュームのダウンリバー艇を使うべきである。
そして、御岳のような部分的に浅い川を決して下ってはいけない。なぜって?沈したら体や頭を打つ可能性があるからである。
そもそもカヤック自体が一般の人から見ればとても危険である。急流や峡谷はもちろんのこと、滝落ちなど聞いただけでも気絶ものである。フリースタイルのマックなんちゃらに至っては、岩に向かって飛び込んでいくのだという。
そんな(危ないと思われている)ことをしている者同士でここまでならいい、ここからはダメ、などと決めつけること自体がナンセンス極まりない。
四国小歩危において、超一流のカヤック・ラフティングガイドが畳に乗って「小歩危」を下ったという。
もしもカヤック仲間のA君が勢いにまかせて、桂川上流でそれをやったら「バカもの!」と怒るかもしれない。
しかし、かつて
「ケンドーKEN」とまで呼ばれた超一流のカヤッカーであるその人は、小歩危だけでも何百本下ったか数えきれないだろう。
小歩危の流れはもとより、普通の人が見逃してしまうような、とるに足らない岩ですら全て記憶しているのかもしれない。当然、「俺は出来る」という自信と責任を持ってやっていることであろう。
何も知らない者(知ろうともしない者)が「危ない」と注意喚起して出てくる言葉はあまりにも陳腐である。
大切なのは、周りに流されず確固とした意思と責任を持ってやっているか?である。
もちろん、カヤックをやっている以上、最悪の事態=死についても。
※絶対に死んではいけない=考えない、ことではないはずである。
ちなみに私はそういう考えのもと、薄いメットと大して浮力のないライジャケ、そして見る人が見たら、一寸法師のおわんのように見えるかもしれないボートに乗って、日々川を下っている。
スポンサーサイト
”日本の母親は子どもに「人様に迷惑かけるな」って教えるけどインドの母親は「お前も人様に迷惑をかけているんだから,お前が迷惑かけられても許せるようになりなさい」って教えるらしいね”
という言葉をしみじみとまた思い出しました。
思い出して「ワシも今までどんだけ…」と反省したその日の午後に、ワニ眼を同僚に向けてたりするのですが(^^;)。
技解説もダウンリバー記事も、楽しみにしています。
極論過ぎて話がずれているような気がする。
ヘルメットとライフジャケットは有無をいわさずつけておいたほうがいい!技術や経験関係なく。挑戦は別のところですればいいと思う。
広い心を持つのはなかなかですよね。(^-^)/
>ヤラレッチ
ひーΣ(゚д゚lll)、そんな直感で読まないでー…
僕が言わんとしてるのはそんな表面上のことじゃないのに。
是非ともあと2・3回読んでみて下さい 。(^ー^)ノ
100人いれば100通りの考え方があるのは当然ですからね。(^-^)/
俺もいいですか?多摩川近郊住人です。
川でのリスクの話なんだと思うけど、
リスクがあるのは川でも日常生活でも同じかと。
あっと思ってアドバイスするかしないかは
その人ができる範囲内でやればイイんじゃあ
ないかなぁ。
(判断基準が人に迷惑かけるから注意する。迷惑かけないなら注意しないなんてことじゃぁないと思うし。)
っと思ってます!
考え
であるならばノーヘルで下ろうとする人を注意する人だって中には当然いると思います。
その人を厚顔無恥だのナンセンスだの非難するのは許されるの?って文章を読んでて思いました。
これも直感で読んでるって事になるんでしょうか。
直感で読むって何?って引っ掛かったけど、まぁそれは置いといて。
確固とした責任と意志を持って下っている人なんて現実問題はたしてどれだけいる事か…
嫌われるのを覚悟で注意する事は立派な事だと思いますよ。
大抵の人は「あんな装備で馬鹿だなぁ…」とか「何かあっても自業自得」とか思うだけで放っておくでしょう。
何かあってから全力で助けるって事は大事ですがレベルによって出来る事に限度がある。
しかし事前にそれとなく注意する事はレベルに関係なく出来るじゃないですか。
って思います。
それぞれの答えを捻り出しましょう(^ー^)ノ
たくさんの意見が出ているようですが、大筋と違う気がします。
Komoさんが言おうとしていることは、
御本人が考えているカヤッカーとしてのあるべき姿ではないでしょうか?
「~するのが当たり前」、という一般論ではなく、きちんと自分の頭で考え、それを理解しようとしているのか?
そして、それこそが人に発言することへの責任であり、また自分への責任でもある、と。
この文章の中で、ヘルメットを被らないとか、注意する・しないなどの問題は結論へ至るための枝葉部分です。
随分と長い間、ブログを拝見しているので、このような極端な言い回しをされることはあまりなかったと記憶しています。
ノーヘルなどの極端な表現を使うことによって、皆に考えさせるきっかけ作りをしているのは流石です。
一部コメント内に、どうでもいい表現の荒探しをしているものなどありますが、本筋や文脈を深く考えようともしないで言葉一つを揚げ足に取り、次々と大臣等を辞任させていく昨今のどうしようもない政治=国民性を垣間見た気がします。
話が逸れましたが、前回の記事と併せて、何があったかはだいたい想像のつくところです。
大変お疲れ様です。
参りました(T_T)
あの刺激的な記事は読み応え有ったのに。
ま、文章は読み手次第ですが。
頑張ってください。
同じように、文章に感情をいれると内容が伝わりにくいか・・・
大変参考になります。
DR用のメット、ライジャケ、大きめのプレイボート、下見した時の直感と、スーパーガイド付きということを総合的に考慮し、周りには色々言われましたが、決行して正解だったと思ってます。
一方のkomoちゃんはあんな小さなボートで巨大なホールに突っ込んだりと、僕的には(いろんな意味で)ありえねーっカヤッキンでしたが。
ひとつ痛感したのは、形の違うボートに乗った、スキルもスタイルも違うカヤッカーの乗り方をまねたところで危険だし、全く意味が無いということです。ライン取りもこなし方も全く違う!僕は自分なりに危険度と力量を理解したうえで、リスクを承知でそれによって達成感という宝物を得たわけですね。
いやあ、言葉で本質を伝えるのは難しいですねえ。が、Komoちゃんの気持と状況はなんとな~くお察ししますよ。
あの日僕とゴジが得たものは言葉なんかでは伝わらない、デカくて大事なもんでした、みんなに感謝感謝です。
これからも、自分のペースでハードにDRしたいと思ってます。スタイルは違えど、川で会ったらご一緒できれば光栄です。また考えさせられる、さらにためになる記事を期待してますよ
久しぶりに熱いダウンでしたね。
スポットにしてもダウンリバーにしても、自然が相手だと、良いものであればあるほど、一期一会のものばっかりですよね。
僕的には、そのためにワイルドやスラなどの基礎練をしたり、同じスポットで延々とムーブ練習などしたりしています。来るべき・・・・のために!
大水が出たから、半年ぶりだけど漕ぎだすか!と勢いでやってしまうのが一番怖いと思っています。
「絶対怪我をしない」という自信(実力)がないので、よく知らないクリークや滝落ちをすることはまずありません。
その実力がついたら、やろうかな、とは思っていますが。
来るべき・・・・のために普段から磨いていきましょう!
またよろしくです。
私はその通りだと思います。
時折「川は危ない」と言う家族に「私が好きでやってることですから。万が一のときはすみません。」と伝えています。確固とした意志と責任で行動するのは、当たり前で自然のことです。大人ですから。
私は友人にも確認します。
人が川で亡くなった場合、今の日本社会はたぶん周囲の人に責任を負わせようとします。そういう未熟な社会だと私は思っています。意志と責任の自覚がない人とは、怖くて一緒に下れません。
それと、文中にあるように「知らない」のに、注意するもしないもないですよね。決めようとすること自体がおかしい。
白だ!黒だ!って方向に話を持っていく人の論理には、「コミュニケーション」という重要な要素が抜けています。
友人にもどう思ってるか聞いてみる。
知らない人にも、不思議な格好だと興味が湧いたら話しかけてみる。
そういう感じでいいんじゃないでしょうか。
色んな考えはあって当然です。私の考えはたまたまたぬさんと同じであったのだと思います。
「言われた通りやるイイ子ちゃん」ではなくて、掘り下げて自分で考えてみる。そのことが、責任を持つことの第一歩だと思います。
相手を一方的に諭すのではなく、意見を交換するという意味でのコミュニケーション、まさにその通りだと思います。
自分が何故当たり前の様にメットやPFDを着けているのか?を考えてみました
痛い目に遭いたくない、苦しい思いをしたくない、というのも勿論あると思いますが、
万一事故に繋がった時に、そのフィールドが使えなくなってしまわないか?
という思いの方が、自分の場合は大きい様な気がします
『自己責任の上で・・・』の責任って何なんでしょうね?
自分もそんな風に判断して漕ぐ事がありますが、
具体的にどんな責任が取れるのか改めて考えると、
よく分からなくなってきます
"経験などに裏打ちされた判断"は尊重・応援しますが、
それを伴わないで"自己責任の上だ"と振り翳されると、
単なる無法地帯??
メットを被ってから一発下って、エディのみんなを安心させ、
それからノーヘルで下れば誰も文句は言わないかなーー(^ ^;)
ともあれこういう話題にしてもスキル的な事にしても、
いつもkomoさんの記事は楽しみに拝見しています!
これからもガンバって下さいね!!
地元に、そしてそのフィールドに迷惑をかける。
そのことは何度も考えたことがあります。
その考えを片隅に置いておくのはとても大切なことだと思います。ただ、その考えだけにとらわれると・・・結局何が出来るんだ?ということも考えたり。
「自己責任」というからには、自分と自然と真剣に向き合っているのか?そこに理念と自己研鑽はあるのか?
そう言うだけの責任が当然必要なはずです。言葉と主張だけでは誰も認めてくれませんよね。
飲みではまたお世話になります お手柔らかに 笑