
「放水されていて、結構な量が出ているがヘドロまじりの水が流れていて、臭いがとんでもない」、という噂の吾妻川にいってきた。
バシケンさんと柳本ちゃんと。随分臭いは緩和されたらしいが、やはり普段と比べると臭い(ヘドロ系)。せっかくなので、スポットをやりたくてフリースタイル艇で行ったが、沈するたびに目にヘドロが入る・・・上がった瞬間の臭いも・・・ダウンリバー含めて、行く人には本気で水中眼鏡をオススメします。
久々の吾妻川は特にとびきりのスポットもなく、ダウンリバーもそこまでエキサイティングでもなく終了。
三年ぶりくらいに来たけど別にもうこなくていいかな・・というのが正直な感想。
けど、途中で滅茶苦茶面白いことがあり、久々に抱腹絶倒してしまった。やっぱり気のおけない仲間との川下りは最高にいい。

続きそれでは、先ほどの絵の問題の答え合わせをしてみましょう。
前述した話を前提とすると、話は早いのですが当然②が正解となります。①が投げられたボール目掛けてバットを振っている瞬間、一方で②はバットに当たったボールを引っ張ろうとしている瞬間の絵です。野球に関する細かい駆け引き等は置いといて、この写真だけで考えられるのは、②ではボールが当たってから、その重さを感じつつ引っ張ろうとしている瞬間だということです。①ではまだボールにヒットしていない為、ボールの重さを感じとることは出来ません。
前置きが非常に長くなりましたが、この問題から説明したいのは、水を感じつつカヤックをやることが、カヤックの最も難しい基本中の基本であり、なおかつ最終目標とすべきものです。どこかで聞いたセリフですが、まさに「水と友達になる。」ということです。
「そんなことはカヤックを習った当初から聞いているし、当然のことだろ!」と思ったそこのあなた。水を感じつつカヤックをやるというのは、言うは容易いですが、男女関係と同じでそうそう簡単なものではありません。
その1つの弊害として、ボートが極端に短くなったことが挙げられます。フリースタイルでもクリークボートでもボートが年々短くなってきていますが、短くなればなるほど、水をゆっくり、十分に感じることは出来なくなります。170cmのボートでカートホイールを行うのは、200cmオーバーのボートでカートホイールを回すことに比べて極端に難しいのです。
短くボリュームが少ないため、2エンドくらいまでなら勢いで回せてしまいますが、その後が続きません。また、水の力を無視してパワーでバウ・スターンをいれているため、極端に上体が先行したりして、スタイリッシュなカートホイールとはかけ離れたものとなっているパターンが非常に多いです。そして、流水で行う力任せカートホイールの上達が見込めなくなったパドラーの逃げ道として、ループがあります。最新のプレイボートをもってすれば、ループは意外と簡単なムーブの一つであることがいえます。水を感じなくても、コツさえ理解出来れば派手で見栄えのするエアループが可能なのです。
このように、今のフリースタイルシーンはカートホイールが不十分だけれどもループなら出来る、というパドラーを量産しています。そして、その先の上達が見込めなくなったパドラーにとってはカヤックがつまらなくなり、残念ながらフリースタイルカヤックをやめていく、もしくは乗っていて単純に気持ちのいいウェーブプレイのみに走る、という少し悲しい傾向さえみられます。
さらに付け加えると、水を感じることが出来ないと、一歩先の難しいムーブは当然できない、もしくは確率が非常に低くなってしまいます。例えば、憧れのムーブの一つとされるマックナスティでいうと、最も大切なことはボトムのエッジが水を掴みだす感覚(水にかみ出す感覚)を感じとることなのです。そしてその感覚を保ちつつ良い姿勢で待ち、(OR応用として踏む動きを行い)無理に自分で飛び込むのではなく、水の力を受けたことを感じた上で、ループ方向への回転へと合わせていくことが基本です。
この大切な部分への理解が少なく、基本が当然出来ているトップパドラー達の「How to」の一部分を鵜呑みにして、何年もマックナスティに四苦八苦しているパドラーのなんと多いことか。
ボトムエッジで水を感じとることに全神経を集中させるべし。フリースタイルムーブ最大の難問と言われているトリッキーウーについても、うまく出来ていない殆どのパドラーに、2エンド時のパドルでの水の掴みが出来ていない症状がみられます。自分自身もそうであったのですが、「感じるセンサー」が疎かになっているため、自分がしっかりと水を掴めていないことをいつまでも理解出来ないで苦しんでいるのです。それが理解出来れば、「それでは、どうやったら水を掴めるか?」という次のステップについて考えることが出来るのですが。
少し話が逸れましたが、さらに流水には女性と同じように、同じ場所、水量であってもその時の気分とも言える「周期」が必ず存在します。また自分では同じ動作をやっているつもりであっても、微妙な力の入れ具合やバランスが当然違ってくるはずなのです。格闘技のゲームのキャラのように、ボタンを押せば毎回同じ攻撃が出来る訳ではないのです。その二つの要因の大きな齟齬を調整する最大の武器こそ、
「感じる」ということなのです。
それでは、感じることが出来にくくなっている受難のショートボート時代に、どうやって
「感じるセンサー」を磨いていくのか?を考えてみます。